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私の3.11

あの時、職場にいた。外へ出よとの指示があって、建物の外へとでたのだけど、揺れの強さに怖くなって、また建物の中に戻った記憶がある。

家には、スライム姉妹(娘たち)がいたので、何度も連絡をとろうとしたのだけど、電話が繋がらない。やっと繋がって、真っ先に聞いたのは、子どもたちの安全、次は、パパはどうしているのかだった。

8年前、まだ離婚はしていなかった。でも、関係はただの同居人になっていた。すでに生活の時間が違っていた。フレックスであったらしい前夫は、終電で帰宅すると、明け方までネットで初音ミクや美少女アニメを見まくり、私が起きる頃、眠る。そして、どうもお昼過ぎに会社に出掛けていたようだ。だから、なにより心配だったのは、一応は部下なし管理職であった前夫が、地震の時間に会社に着いているかどうかだったのだ。もし、会社に着いていなければ、部下なしとはいえ管理職の責任問題となる。

ちょうど学校が定期試験で、お昼過ぎに帰ってきていたぶちの、パパはいなかったよという証言に、なにより安心した。

最初に私に電話をくれたのは、今の夫となる人だ。私と子どもたちの安否を聞くと、とにかく無理をするな、何かあったら、逃げることも大事だといってくれた。次に電話をくれたのは、大事な友人のAK2さんだった。同じように私と子どもたちの安否を心配し、みな無事だと知って安心してくれた。前夫からは夜遅くまでなんの連絡もなかった。

地震の最中、運よく会社に着いていた前夫は、緊急事態に大はしゃぎしていたらしい。あちこち手配をし、采配をふるっていたらしい。そういう、目立つことは大好きなのだ。家族のことは、思い出さなかったか、あるいは、今、自分は、家族の安否よりも、この場の采配を振るわなければという使命感に高揚していたのだろう。

幸い、地震当日は、停電以外の事故もおきず、子どもたちも冷静だったので、私は前夫がいないぶん、楽だった。ただ、なんともいえない虚しさがあった。

私にとっての3.11は、自分の人生が変わった日だ。離婚をする原動力はあの虚しさからだったと思う。
Commented by ダムダム人 at 2019-03-13 08:27 x
あの日は「シュウマイ弁当」を買って帰って
部屋にいました。
えらく揺れましたが、あまりモノは落ちませんでした。
(ぬいぐるみが少し落ちましたが)
幸い私の住む地域はライフラインの停止は無く
普通の生活が出来ました。
(ただし輪番停電はありましたが)
そんな訳であの日の事を思い出すために
毎年、あの日に一番近い日に「シュウマイ弁当」を
食べています。
Commented by chacoakimoto at 2019-03-13 09:50
いろいろな3.11の過ごし方がありますね。人それぞれです✨私の職場では、発生時間に黙祷します。
by chacoakimoto | 2019-03-12 09:19 | 日記 | Comments(2)